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霧島神宮

南九州最大の神宮と言われています。豪壮・綺麗な社殿が国重要文化財に指定されています。

西鹿児島駅 

維新の香りを残す街です。意匠は西郷さんと桜島です。

指宿駅

指宿の砂風呂はとても気持ちの良いものです。

佐多岬展望台

大隈半島南端の佐多岬は九州本土最南端に位置します。北緯31度で、これは
カイロなどと同じ緯度だそうです。開聞岳が優美な姿を見せます。

おじゃったもんせ、「かごっま」へ― 鹿児島空港

鹿児島県霧島市にある空港です。錦江湾の奥まった部いあり、鹿児島市からはちょっと遠いです。高速道路のアクセスは非常に
いいのですが…。離島への便もあるため、比較的大きな空港になってます。意匠は桜島です。

ようこそ、鹿児島! KAGOSHIMA AIRPORT

意匠は桜島とハイビスカスでしょうか。鹿児島に行くと、街路樹として普通にハイビスカスが咲いています。空港にも、綺麗なハイビスカスが咲いていて、種子島へのトランジットの間、目を楽しませてくれました。

ANA KAGOSHIMA

空港内では土産ショップも充実しています。ここで、黒豚とんかつを食べました。

日本100名城 97鹿児島城

鹿児島城(鶴丸城)は薩摩藩島津家七十七万石の主城です。城といっても、居館を拡張したような感じの平城?平山城に近い)ですが。薩英戦争の折にも艦砲射撃は受けていますが、英国艦隊は寺と間違えていた…という話です。
石垣は結構見事です。その石垣には、西南戦争時についたという弾痕が残っています。

鹿児島中央駅 (1)

元は「西鹿児島」駅でした。新幹線開通に伴い、2004年に「鹿児島中央」駅に改称されました。駅に観覧車があって、それが目立ちます。
西鹿児島駅であった頃に来たときと、印象は大きく変わってしまいましたが、中央郵便局付近の雰囲気は変わっていなかったので懐かしい思いを持ちました。

桜島SA

九州自動車道にあるSAです。桜島にあるわけではありませんし、桜島の眺めがいいわけでもありませんが…。

道の駅 桜島

鹿児島港からフェリーで桜島に渡ってすぐのところにある道の駅です。桜島の情報も手に入ります。
意匠は、桜島と桜島大根でしょうか。

維新がみえる西郷公園

鹿児島空港のすぐ近く(霧島市)にある巨大な西郷像です。R504沿いにあります。
京都に設置されるはずだった巨大な西郷隆盛像が、製作依頼者の死去に伴って、その設置が宙に浮いてしまったそうです。そして、富山県の倉庫に眠ったままになっていたということです。
それを憂いた地元の有志が、この地に銅像を誘致しました。人物像としては日本最大の銅像だそうです。

溝辺町西郷公園 現代を見詰める西郷隆盛像

  この銅像、高さ10.5mだそうです。この公園は薩摩藩別邸をイメージして造られたそうで、いろんな土産物も売られています。

鹿児島中央駅(2)

意匠は桜島・西郷隆盛でしょうか。駅に観覧車があるので、非常に目立ちます。

鹿児島県歴史資料センター黎明館(1)

このスタンプ、非常に難しいです。まず、上段の2人。これは西郷隆盛と坂本竜馬で問題ありません。しかし、下段の3人が問題です。まん中は中岡慎太郎でしょう。右側は、勝海舟でしょうか桂小五郎でしょうか。
そして、判らないのは下段左側の人物です。キリッとした武士で、薩長土肥・幕府のうちのだれかでしょうが、家紋からすると、すくなくとも大名級の人物ではありません。

鹿児島県歴史資料センター黎明館(2)

鹿児島城の城内にあります。結構広く面白い資料館でした。

喜び入る道の駅 喜入

今では鹿児島市に編入されています。新日本石油の巨大な石油コンビナート群があります。そういえば、鹿児島県では、「ENEOS」のガソリンスタンドばかりが目につきました。

百年の木造舎嘉例川駅を訪ねて(1)

嘉例川駅は霧島市にある肥薩線の小さな無人駅です。
開業当初からの木造駅舎が残されており、100年以上の年月を経ています。
鹿児島空港から約2キロと、空港最寄駅なのですが、細い道を抜けてようやくたどり着く、とてもそうは思えないところです。
かつて昭和天皇が皇太子時代、乗降したこともある駅なのだそうです。

百年の木造舎嘉例川駅を訪ねて(2)

木造駅舎として、レトロな癒し系の駅です。多くの鉄道ファン、観光客が訪れていました。駅弁も有名だそうです。
ちょうど、列車がはいってきて、皆、写真撮影などしていました。

池田湖 指宿

池田湖のイシーってのが一時流行りましたが、どうなったのでしょうかねえ。
綺麗な湖であることは確かですが…。

知覧特攻平和会館 入館記念

たまたま、ここを訪れたのが8月15日だったのです。胸が熱くなります。
彼らの熱き熱情と、彼らを死に追いやって恬として恥じなかった者とは峻別しなければなりません。

種子島空港 (1)

「宇宙に一番近い空港」で、愛称が「コスモポート」です。種子島は道端に普通にハイビスカスが咲いています。空港でも、きれいなハイビスカスが咲いていました。

種子島空港 (2)

新しい種子島空港は島の中央部にあります。種子島には、案外高い山が無く、平坦なイメージです。島は南北に長く、国道58号線が貫いています。
58号線は有名な海上国道で、鹿児島を起点に、海上を種子島・奄美大島を経て沖縄に繋がっています。

Tanegashima Gun Museum 鉄砲館

1543年、種子島は門倉岬に、一隻の異国船が漂着しました。在地の代官と、明国人乗組員が砂浜で筆談し、南蛮船であることが判りました。その南蛮船には「鉄砲」が積載されていたのです。
事態を重く見た代官は、島の忠心である西之表に急報、南蛮船は2日がかりで西之表に曳航されました。種子島を治めるのは若き島首・種子島時堯でした。彼は、高額で鉄砲を買い取り、島の鍛冶師に鉄砲の模倣製作を命じます。
種子島には、豊富な砂鉄があり、高度な鋳鉄技術があったのです。鍛冶師は試行錯誤の末、鉄砲を製作します。一番苦労したのはネジの製作でした。当時まで東洋社会には「ネジ」という発想が無かったのです。中国が唯一発明しなかった製品であるとまで言われます。

西之表市立種子島博物館 観覧記念

種子島は交易で賑わっており、日本本土から、そして南方からの船が行き交っていました。紀伊の根来や、堺の商人なども来ていたそうです。黒潮に乗れば一直線だからです。
鉄砲の技術は、黒潮に乗って、堺や根来に伝わりました。そ野後、爆発的な勢いで日本中に広まります。
鉄砲伝来は、種子島経由だけではなく、何派にも渡って各所から…というのが最近の考え方ですが、しかし、鉄砲のことを一名「種子島」と呼んだくらいなので、種子島経由のものが象徴的であったのでしょう。
事実かどうかは別にして、鉄砲の大量使用で有名になる長篠合戦は、種子島に鉄砲が漂着してからわずか30年後の1575年のことでした。

たねがしま 赤米館

米の栽培は、当初、「赤米」であったとされます。しかし、赤米は、病害にも弱く、また収穫の際にも手間のかかる品種でした。
意図的に品種が改良されたのか、はたまた偶然か、赤米にとってかわる現今に近い品種ができて栽培の主流になっていきました。
種子島は、黒潮の影響でしょうか、南方系の物産が最初に伝来する地となっています。米しかり、鉄砲しかりであったのでしょう。
赤米は儀式や宗教的な場合にしか栽培されなくなりました。しかし、赤米の記憶は残り、赤飯として伝わっています。

JAXA種子島宇宙センター 宇宙航空研究開発機構

世界一美しいロケット発射場といわれる所です。その言葉通り美しい発射場でした。しかし、その裏で、ロケット技術は軍事技術に直結します。多くの立ち入り禁止区域があり、人目につきやすい種子島の情勢というものがあるのだなあ…と納得しました。

JAXA −かぐや−

月探査衛星に「かぐや」と名付けたのは秀逸なネーミングであったと思います。「かぐや」から送られてきた鮮明な月の映像には魅了されました。

JAXA種子島宇宙センター 国際宇宙ステーション

ロケット発射場は、できるだけ赤道に近い方が、なにかと有利なのだそうです。軌道計算とか、ややこしそうですが、まあ、なんとなく判る気がします。
宇宙センターが企画され、できるだけ赤道に近い、すなわち南方に建設したかったそうですが、当時、沖縄諸島はまだ日本に返還されていなかったこともあって、種子島に白羽の矢が立ったのだそうです。
 鉄砲伝来という「栄誉」とともに、ロケットという最先端技術の島でもあり、種子島は素晴らしい歴史を持っていると感動しました。

Tanegasima Space Center

「きぼう」、「かぐや」、「はやぶさ」、「あかつき」、などなど、ひらがな系ロケットが続いた中で「イカロス」というギリシャ神話系のネーミングのロケットは、どうなんでしょうか。