北海道
青 森
岩 手
宮 城
秋 田
山 形
福 島
茨 城
栃 木
群 馬
埼 玉
千 葉
東 京
神奈川
新 潟
富 山
石 川
福 井
山 梨
長 野
岐 阜
静 岡
愛 知
三 重
滋 賀
京 都
大 阪
兵 庫
奈 良
和歌山
鳥 取
島 根
岡 山
広 島
山 口
徳 島
香 川
愛 媛
高 知
福 岡
佐 賀
長 崎
熊 本
大 分
宮 崎
鹿児島
沖 縄
15
写真をクリックすると拡大表示します。 1〜15件

横浜駅

横浜駅のスタンプです。東日本各県が描かれ、日本丸が添えられています。

鎌倉駅

鎌倉は源頼朝が幕府を開いた武家の聖地です。
頼朝は貴族政治に終幕をひいた日本史屈指の偉人(世界的にみても)といえましょう。

関内駅(1)

関内付近は昔は海で、江戸時代に埋め立てられて吉田新田となったといいます。それが幕末に開港場とされ、居留地に関所を設けら れたので、あの内側を「関内」と呼んだのが地名の始まりとか。
今では、横浜の中心地です。県庁舎や山下公園なども近くにあります。

関内駅(2)

山下公園は、関東大震災で発生した瓦礫を使って埋め立てられた場所に造られたそうです。岸壁には氷川丸が繋留されています。

氷川丸

元は日本郵船所有の貨客船。太平洋戦争中、病院船として徴用されました。
ウオーターライン・シリーズのプラモデルキットにもなっています。

帆船 日本丸

昭和5年(1930)に完成した練習用帆船です。姉妹船に海王丸があります。昭和59年(1984)に退役しました。
今では、横浜みなとみらい21にあり、日本丸メモリアルパークに繋留されています。

新横浜駅

この地に「新横浜駅」ができたのは、西武グループの影響が大きいという話です。

保土ヶ谷駅

駅名の由来は色々あるようですが、まあ、JRの駅名では、一番エッチなものかもしれません。
スタンプが刷り切れていて、上手く押せませんでした。

小田原城天守閣 (1)

現在目にすることの出来る小田原城天守閣は、大久保氏の小田原藩時代(10万石)の規模のものです。
戦国時代、関東を席捲した北条氏(後北条氏)の本拠であった小田原城は、城下町をも包括する広大な総構えの城郭で、その総構えの大きさは大坂城にも匹敵するものであったといいます。
意匠は、現在の小田原城天守閣と小田原提灯です。

小田原城天守閣 (2)

 北条時代の小田原城は、上杉謙信・武田信玄の攻勢を跳ね返した堅城でした。しかも豊臣軍の襲来に備え拡張されます。しかし、圧倒的物量と、当時としては精緻なロジスティックスを誇る豊臣軍に包囲され、北条氏は内部崩壊し落城しました。実は豊臣軍も補給が限界ぎりぎりだったということです。
小田原の街は、北条氏一色。江戸時代の領主など、あって無きがごとしです。確かに北条氏は善政で知られていましたから、さもありなんでしょうが・・・。

小田原

戦国時代の幕開けをしたと言われる北条早雲(年代的には尼子経久の 方が早いのですが)。
実は、彼は「北条」などと名乗ったことはなく「早雲」と名乗ったことも無いだろうといわれています。彼の姓は「伊勢」で、伊勢宗瑞というのが正しいかも知れません。この伊勢宗瑞、幕府奉行人・伊勢氏の流れといわれています。妹が駿河の今川氏に嫁いでいるのですから、一介の風来坊ではなかった筈です。幕府中央とパイプを持っていたと想像されます。そうした縁で駿河守護代といった立場になり得、太田道灌とも交渉できたのでしょう。またそれ故、室町幕府の将軍候補にもなり得た伊豆の堀越公方を襲撃できたのでしょう。
伊豆から小田原を奪い、本拠地としたのは、もう老年になってからのことでした。

東海道新幹線乗車記念 東海小田原駅

意匠は、小田原城と北条氏軍勢でしうか。小田原は北条氏一色で、江戸時代の領主は、無視同然・・・。江戸時代の小田原藩は、箱根関所の管理という重要な役割を持っていたのですが。
北条氏滅亡後、関東を与えられた徳川家康によって小田原城は打ち壊されたといいます。

25th Welcome JR東海の新幹線 小田原駅

北条氏は、初代・宗瑞(早雲)、二代目・氏綱、三代目・氏康と名将が続きました。秀吉によって攻められるまで、五代を数えます。戦国大名で五代も続いた家など、そう多くはありません。
関東制覇を巡っては、関東管領から、上杉謙信・武田信玄らの周辺戦国大名、佐竹氏・里見氏らの名門地元大名と抗争を繰り広げました。地元志向の戦国大名ということでは、西国の毛利氏と双璧を成すでしょう。
北条氏の末裔は、1万石余りの小大名として、大阪の狭山藩に封じられています。狭山池の管理をし、大阪平野南部の灌漑に尽力していました。

ほうとく はくぶつかん

二宮金次郎(尊徳)は小田原の生まれです。農政家として辣腕を発揮し、農村建て直しに奔走しました。報徳思想を唱えました。
意匠は二宮尊徳でしょうが、この絵の下に数字が書いてあります。二宮尊徳の生没年と考えるのが普通でしょう。しかし、これによると、彼は200歳の長寿を全うしたことになります・・・。まあ、尊徳の思想は、200年経った今も生きている・・・という意味なのでしょうか。実は生誕200年を記念して建てられた博物館なんだそうです。

HOTOKU MUSEUM

小田原市にある報徳博物館です。二宮金次郎(尊徳)の像といえば、この意匠のように、薪を背負って本を読んでいる・・・というものが普通ですが、実際には、この時代には天秤棒を担ぐのが普通であったと言われています。天秤棒を担いでいたのでは、本は読めないでしょうねえ。