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堅田駅・浮御堂

近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂は、寺名を海門山満月寺という。
平安時代、恵心僧都が湖上安全と衆生済度を祈願して建立したという。
現在の建物は昭和12年の再建によるもの。

三井寺

三井寺は大津市にあり、「三井の晩鐘」で有名です。意匠は、弁慶が三井寺から鐘を担いで比叡山に持っていったという伝説のイラストです。

三井寺参拝記念

三井寺は別名、園城寺といいます。多くの国宝・重文があります。天智・天武・持統の3天皇の産湯に用いられたと伝えられる井戸があり、「御井の寺」が転じて「三井寺」となったといわれています。

国宝彦根城

彦根城は井伊家の居城。日本に4つしかない国宝の天守閣のうちの 1つがあります。

近江今津駅

♪今日は今津か 長浜か〜・・・の今津です。

国友鉄砲の里資料館(1)

国友は戦国時代以来、堺と並び称された「鉄砲」生産地です。長浜の近在にあり、長浜城主だった羽柴秀吉の保護 も受けたようです。江戸時代は幕府から銃の製造・メンテナンスをも請け負っています。
国友鉄砲の里資料館には、鉄砲製作の資料や、日本の発明王・国友一貫斎の資料が展示されています。

国友鉄砲の里資料館(2)

長浜は北国街道が通る要地です。本来なら、東海道本線と北陸本線の分岐点も長浜であるはずだったのですが、鉄 道乗り入れを当初拒否してしまったので、その地を米原に譲ってしまいました。
国友での鉄砲製造は、工業団地のような様相を呈したそうで、各部品、分業制がとられていました。

国友鉄砲の里資料館(3)

国友での鉄砲製造は、天文13年(1544年)、将軍・足利義晴から鉄砲を示されて、模倣したのが始まりと伝えられるそうです。

歴史街道 長浜

長浜は、かつて今浜と呼ばれていました。羽柴秀吉が城主になったとき、「長浜」と改名しています。主君の織田信長に、「上様のお名前の一字をば頂戴いたしまして・・・」とか調子よく言上したのかもしれません。

鉄道記念物長浜駅公開記念

明治15年に作られた現存する日本最古の鉄道駅舎といわれています。

木ノ本駅

駅名は「木oノ本」ですが、地名や役所関係は全て「木之本」 です。すぐ近くに賤ヶ岳があり、意匠は賤ヶ岳の合戦であろうと思います。

永源寺

愛知川沿いにある、臨済宗のお寺です。紅葉で有名です。

彦根城天守閣

国宝・彦根城です。日本に4つしか無い国宝天守閣を持つ城です。あとの3つは姫路(兵庫県)・松本(長野県)・犬山(愛知県)です。彦根城は井伊家の居城でした。

大津駅

大津は滋賀県の県庁所在地で、「大津駅」はJR西日本の駅となっています。「大津」とか「浜大津」とか「膳所」とかややこしい変遷を経ているようです。
意匠は、琵琶湖汽船の「ミシガン」で、琵琶湖遊覧が楽しめます。
「ミシガン」は旧海軍の砲艦のような姿をしています。総トン数は1000トンほどで、最高速力8〜9ノットのようです。

安曇川町立 近江聖人中江藤樹記念館

中江藤樹は1600年代前半の陽明学者です。滋賀県に生まれましたが、伊予(愛媛県)大洲藩士となりました。しかし、母への孝養のため脱藩して、近江(滋賀県)に戻り、私塾を開きました。
屋敷の庭に藤の木があったことから「藤樹」と号するようになったということです。
記念館の場所は琵琶湖の西側、安曇川町でしたが、現在は高島市に含まれます。

中江藤樹先生

中江藤樹は、朱子学から陽明学に傾倒していった儒学者ということができます。陽明学の祖とも言われますが、教育にも力を注いだようです。「五事を正す」という言葉を残しています。
貌・言・視・聴・思。
貌…穏やかに人と接す、言…気持ちよく受け入れられる言葉遣い、視…暖かく人や物を見る、聴…相手の話をよく聞く、思…思いやり
いい言葉だと思います。

信楽駅

信楽高原鉄(鐡)道の駅で、滋賀県では最南端の駅だそうです。
ホームには信楽焼の狸が飾ってありました。
信楽焼としての狸は、そう古いものではないようです。明治になってからのものとか。昭和天皇が信楽町御幸の折、狸の置物の歓迎を受けられ、そのことを御製に詠まれたことで有名になったとか。
狸は「他を抜く」に通じ、縁起物として喜ばれているようです。

SKR 信楽高原鐡道

SKRは「Shigaraki Kougen Railway」の略です。全長15キロほどの第3セクターの路線です。
平成3年には、列車衝突事故などありました。
なぜ「鉄道」ではなく「鐡道」なのでしょう?

東海道新幹線乗車記念

本来、長浜駅が果たす筈だった役割を、米原駅が果たすことになっています。
岐阜県の大垣に行くのに、この米原まで新幹線で行って、そこから在来線に乗り換えました。

日牟礼八幡宮

近江八幡市の地名「八幡」の元になった八幡宮です。豪荘な社殿があり、「かくや」と思わせました。

おうみはちまん 町なみ

近江八幡は、琵琶湖の南岸中央部に位置する街です。琵琶湖を通航する船は、ここに寄らなければならないとされたため、湖上交通の中継点として栄えました。掘割が整備されていて趣きがあります。
有名な近江商人発祥の地でもあります。江戸時代には豪商が軒を連ねていました。江戸時代の豪商ランキングでも、近江八幡の商家が上位に食い込んでいます。今でも、豪荘な商家の町並みが残されていて、当時を偲ばせます。

おうみはちまん 近江商人の館

近江商人とは近江で商いを行う商人ではなく、近江を本宅・本店とし、他国へ行商した商人の総称で、個別には「高島商人、八幡商人、日野商人、湖東商人」などと呼ばれました。それぞれ特定の地域から発祥し、活躍した場所や取り扱う商品にも様々な違いがあるそうです。 
近江商人は、手広く販路を広げて繁栄しました。今にも続いている店も多くあるそうです。彼らは、「買い手よし、売り手よし、世間よし」という三方よしの理念を商売の基本としていたといいます。社会事業にも大きく寄与しています。

近江八幡市立資料館

近江八幡の町は、元はと言えば織田信長の築いた安土の城下町でした。信長が本能寺に倒れた後、ここ八幡に城を築
いた豊臣秀次は、安土の町を八幡に移したのです。豊臣政権
にとっては、織田家の匂いを残す「安土」は抹殺すべき象徴
だったのです。
「八幡市」は福岡県にあったので、「近江八幡市」と名乗ったのですが、九州の八幡市は合併で北九州市になってしまいました。それでも、今更、市名を替えるわけにもいかず「近江八幡市」のままです。
今や、市町村合併によって、安土町をも吸収しようかという情勢になっています。豊臣政権の安土抹消計画は400年以上の歳月をかけて達成されるのでしょうか・・・。

国友 鉄砲の里資料館 (4)

なぜ、近江(滋賀県)の国友に鉄砲の製造工場群ができたのでしょうか。
この地は、伊吹山から吹き下ろす風があり、大量の通気を必要とする製鉄に格好の土地であったのです。製鉄業のノウハウがあるため、その技術が鉄砲に活かされたのでしょうか。

秀吉出世城 長浜城 市立長浜歴史博物館 

秀吉が最初に一国一城の主となった城です。秀吉は北近江十二万石を領したと言われます。近江国は百万石近い大国ですから、それだけでも十分、一国一城の主といえましょう。
ここを振り出しに出世していった秀吉は天下統一にまで至ります。
その秀吉も長浜には愛着があったようで、格別の思いがあったようです。

比叡山坂本駅

比叡山は、京都府と滋賀県の境にあります。その滋賀県側の麓に、寺町ともいうべき坂本があり、栄えました。
信長によって比叡山が焼き払われた後は、比叡山監視の役割も兼ねて、明智光秀が湖岸に坂本城を築いています。

歴史街道 彦根

彦根というと、ゆるキャラ「ひこにゃん」で有名になりました。この井伊直政の兜、そして赤備えの赤いカラーが、ひこにゃんの原型でしょうか。
井伊直政は、徳川家にとっては外様にあたります。家康の衆道の相手として寵愛され、それだけでなく戦闘・政治にも手腕を発揮しました。譜代最大の石高を彦根にて与えられ、西国に睨みを効かすことになりました。
代々の井伊家は、大老を出す家柄として徳川幕府に信用され、幕末には井伊直弼が出ます。

国宝・彦根城築城400年祭

元々、この地には石田三成の居城である佐和山城がありました(彦根城から手の届くような位置に見えます)。それを全て取り壊し、井伊家の居城として天下普請にて彦根城が建造されたのです。
ただ、この城が完成したのは井伊直政は死亡したあとでした。しかし、城は明治後も残され、国宝となっています。世界遺産への登録は、さてどうでしょうか…。

近江戦国の道 彦根城

意匠は、彦根城と井伊家の家紋です。井伊家は、幕末まで35万石ほど。譜代大名では最も石高が高く、酒井家と並んで大老を出す家柄でした。
しかし、桜田門外の変の後、10万石を削られていますので、明治後の爵位は伯爵にとどまりました。

彦根城博物館(1)

彦根城内にあります。意匠は、井伊直政の具足(ひこにゃんの兜)と能舞台です。

彦根城博物館(2)

この能舞台では能・狂言やコンサートなども行われているそうです。