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岩国

錦帯橋は、本当に見事です。

小郡

今じゃあ、「新山口」です。近所には大村益次郎出生の地があります。

東萩駅

萩市内に鉄道を通すことは、地元民の反対に遭いました。それで、萩市街をぐるっと周るような感じで鉄道が走っています。萩の武家屋敷は端整です。武家屋敷の合間に萩焼きの湯のみなどを扱うアンティークなお店などがあり、風情があります。僕のお気に入りの湯のみはここで買った萩焼きの一品です。

山口駅

山口県の県庁所在地・山口市です。「西の京」と呼ばれる歴史ある街で、幕末ぎりぎりになって毛利藩の藩庁が置かれました。よって、ここが県庁所 在地に引き継がれています。
意匠は瑠璃光寺の五重塔です。見事に均整のとれた塔で、見事な塔ゆえに、破壊されることも、移築されることもなく残されています。

瑠璃光寺 国宝五重塔

防長の守護大名大内氏第25代・大内義弘を弔うために建造されたと言われています。この五重塔は1442年頃の完成。醍醐寺・法隆寺と並んで日本三名塔の一つに数えられます。

西の京 やまぐち

大内氏は、さかんに京文化を取り入れ、その守護所・山口は、「西の京」 と言われました。その後、戦国の争乱のうちに大内氏本流は滅びましたが、その傍流が小大名・山口氏として続いています。

おいでませ山口へ 湯田温泉

山口市近郊にある温泉です。「おいでませ山口へ」のキャッチフレーズは一世を風靡したものです。

山口市 鋳銭司郷土館

鋳銭司は、古代、銭の製造が行われた鋳銭所があったとこ ろです。今では山口市に含まれます。大村益次郎の出生地でもあります。近くには「陶」という地名もあり、古代からの地名 が残された場所だと感動しました。意匠は大村益次郎でしょう か。「花神」・大村益次郎の墓にも詣でました。

花神の里・山口 大村益次郎

故・司馬遼太郎の「花神」で、僕は歴史に目を開かされました。NHK大河ドラマの「花神」もくっきりと印象に残っています。大村益次郎の墓に詣でたときは、あの「花神」のテーマ音楽が脳裏で奏でられていました。
大村益次郎があの時、遭難せず、日本陸軍の軍政を摂っていたら、その後の陸軍はどうなっていたか・・・それを考えると様々な可能性が浮かんできます。

秋芳洞探勝記念

壮大な鍾乳洞です。「あきよしどう」と読むそうで、この名は昭和天皇が名付けら れたのだとか。

山口市歴史民俗資料館

山口市とその周辺の歴史・民俗資料など展示しています。大内氏関連の資料も多いです。

岩国城

吉川氏の居城として築かれましたが、一国一城令によって破却されています。今見る天守閣は、いわゆる再興天守です。
吉川氏は、もともと吉川元春の代から反豊臣で、関ヶ原合戦の折にも家康に内応しており、毛利本軍を動かせませんでした。それ故もあって毛利軍の属する西軍は敗れ、毛利氏も中国地方全域の太守から、危うく改易されてしまうところでした。そして、家康に内応していた吉川氏に防長2カ国が与えられる予定だったといいます。吉川氏としては、毛利本家を救うためにやったことで、毛利本家が潰されてしまっては困ります。あわてて、自分の功と引き換えに毛利本家存立に奔走し、自分に与えられる筈の防長2カ国に縮小という形で毛利本家を残しました。しかし、毛利本家としては、吉川が勝手なことをやったおかげで大減封されたということで吉川氏に対して冷淡になります。吉川氏は自分の奔走で毛利本家が残されたのだと思っていました。江戸時代を通じて、両家にはわだかまりが残りました。
吉川氏は3万石で、充分に大名格だったのに、毛利本家がそれを認めないので、大名として扱われませんでした。吉川氏が毛利本家との関係を改善し雪解けを演じ、和解して大名として認められたのは幕末のことでした。

白蛇の岩国

岩国には白蛇が棲息しています。白蛇はいわゆる「アルピノ」種。本来は野生に棲息し、繁殖するには弱い種です。それが、岩国では棲息し得たのです。岩国の人々の優しい保護があったからなのでしょう。